0歳からのコンサート

主宰のチェリスト

石原 まり

ベルギーで学び、九州交響楽団への所属を経て、現在はフリーとして演奏。
さらには、コンサート企画、指導と、精力的に活動している石原まり氏。

2024年6月8日(土)には、”誰もが参加でき、誰もが近付けるクラシックのひとときを”
というコンセプトで月1開催されてきた「福岡みんなとコンサート」がある。

お話を深く聞いていくと長くなってしまい…
ミニ・インタビューとして、少しずつ掲載して参ります!

(一番右が石原まり氏。二人のお姉さまと)

【ミニ・インタビュー目次】

出身地を離れて

音楽に目覚めた
きっかけ

出身地を離れて

-インタビューを受けていただき、
本当にありがとうございます。

今回は、石原さんの経歴について
お伺いさせてください。

石原さんは群馬ご出身とのこと。
福岡にいらっしゃった経緯を
教えていただけますか?

25歳に留学していたベルギーから帰国し、プー太郎・フリーター・フリーランスとして日本で演奏活動や、企画、指導、さらにアルバイトをしている中、音楽を仕事にしたいといくつかのオーケストラのオーディションを受けておりました。

そんな帰国後3年目、27歳の時に九州交響楽団のトゥッティTutti枠に棚からぼたもちで合格し、知り合いも由来も0の九州の地に飛び立ち拠点を福岡に移した次第です。

※編集注:トゥッティとは「総奏」のことで、オーケストラの中での合奏パートのことをいう。対語は、ソロ。

-九州交響楽団への入団が
きっかけだったのですね!

経歴を拝見しますと、留学先は
ベルギーのナミュール王立音楽院。

日本ではあまり馴染みのない町ですが、
留学先をこちらに選んだ経緯を
お聞かせいただけますか?

私は6人兄弟の末っ子なのですが、10歳年上の姉が18歳の時にベルギーにピアノで留学し、その後、結婚してリエージュというところに住んでいました。そのため、私も留学するならベルギー、と母が推してくれました。

その中でなぜナミュールになったのかというと、当時ブリュッセルの歌劇場のオーケストラ「モネ交響楽団」では日本人指揮者・大野和士氏が音楽監督をされていて、また皇室と交友があったいうことで、何かの記念に日本・東京公演で来日したことがあったんですね。当時、留学はしたいが誰に習いたいかは全く分からなかった私に、姉がそのオーケストラを聴きに行くことを勧めてくれました。

加えて、レッスンも受けさせていただけることになり。ピアノの先生であり、かつフランス語が話せる伯母に助けてもらいながら、ホテルの一室でなんとか受けさせていただきました。

-ベルギーを留学先に考えていた時に、
ベルギーの交響楽団がやってくる。

巡り合わせを感じます…!

レッスンの時の先生の大らかさに、私の中の「チェロが人になったらこんな感じだな」という魅力を感じました。また、その直後に聴いたコンサートでは、チェロの王のように見える存在感、そして聴いたことのないような艶のある美しい音に、この人に習えるなら留学する意味がある!そう決心がつき、渡欧しました。

その先生・・・ユストゥス・グリム先生が当時教えていた学校が小さな町の小さな学校、ナミュール王立音楽院(その時はまだ私立で、ナミュール高等音楽院)でした。入試も不安なく入れて、ゼロスタートというか、そこからまっさらな気持ちで、チェロを再スタートしました。

実はこの先生の奥様は、モネ交響楽団のコンサートミストレス。本当にカッコ良いご夫婦だったことも、私の中でピッタリカンカンにステキに思い、信頼を感じたのも一つの理由です。

-この先生に習いたい、という思いが、
石原さんを動かしたのですね!

グリム先生の奏でる音色、
いつか拝聴してみたいです…!

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音楽に目覚めた
きっかけ

-留学の話でも少しでましたが、
石原さんのご家族は
「音楽一家」だそうですね。

やはり幼い頃から
音楽は身近な存在でしたか?

伯母と母がピアノの先生ということもあり、物心ついた時には兄弟皆楽器をしていました。

1番上の兄はエレキギターでB’zを弾いたり、姉は音大に向けてバリバリピアノを練習していたりと、家庭にはいつも音楽がありました。(私自身は6人兄弟の末っ子で、いつも上を見上げていた感じです。)

今自分が開催しているコンサートの空間の見本としているのは、私が過ごしてきた発表会やホームコンサートの温かさです。

-音楽一家だから英才教育!
という雰囲気じゃなく、
「音楽が普通にあるおうち」
と言った方が近そうですね!

では、そんな環境の中で
“音楽に目覚めた”のは
いつだったのでしょう?

”目覚めた”の前に、小学校中・高学年くらいから将来について悩みあぐねていた時期がありました。

ずっと勉強できて、様々なことに関われる役に立つ仕事はなんだろう。しかし、母を見ていると、仕事が出来るより子供を育てるというのも素敵だなと。

そう思ったりしつつも、やはり医師や看護師はどうだろうとか、個人的憧れではTVプロデューサーとか。劇団ひまわりに応募して役者になりたいと挑戦したこともありました。

でも、その選択肢に、どこかいつも、得意ではないけど、続けていた習い事のチェロの存在も朧げにありました。

-候補がたくさんあったのですね!
実際に劇団にも応募されたとは、
素晴らしい行動力…。

ご自身では得意とは思っていなかった
チェロに定めたきっかけとは?

中学の時に出会えた、群馬交響楽団首席チェロ奏者・グルチン先生とのレッスンです。

ものすごく熱く優しくパワフルな時間。中学生といえば、冷ややかに物事を見られる歳。大人も大したことがないのか…と気付いた歳になっていたからこそ、その出会いはかけがえのないものでした。

また、先生から教えてもらった、国連にまで抗議をしたカタロニアのチェリスト・カザルスの存在。音楽家とはなんなのか、ドレスを着て、上手いことをドヤ顔で弾くという仕事だけではないということにも気付かされました。

種類ではなく、熱く生きられることをしたい。

心を閉ざす人、諦めてしまう人、苦しむ人を勇気付けられる仕事をしたい。

私自身が生きる炎をもらったからこそ決断できた。それが目覚めたキッカケです。


今回はここまで!

次のミニインタビューでは、
留学先で感じたことや
コンサートへの想いを
深堀していきたいと思います。

コンサートで目指さしているという
温かさ。

ぜひ、6月のコンサートで
体験してみてください!

0歳から入場OK!
スペシャルな音楽会

「福岡みんなとコンサート」

2024年6月8日(土)

アクロス福岡 円形ホールにて