ドイツが認める

福岡出身のピアニスト

吉村 直美

ドイツのハンブルク国立音楽演劇大学を、最優秀の成績で卒業。

現在、国内外でピアニストとして活躍する傍ら、ハンブルク・ヨハネス・ブラームス音楽院客員教授も務める吉村直美氏。

2024年4月10日(水)、出身である福岡にて初のピアノリサイタル「音楽と旅」を開催する。

吉村氏の経歴を知り、そしてYoutubeで聴いた音色に心惹かれ、インタビューを申し込みました。

【インタビュー目次】

平坦ではなかった、その道のり

コンクール、そして、客員教授として

音楽について

今回のコンサート「音楽と旅」

最後の質問

平坦ではなかった、
その道のり

-インタビューを受けていただき、
本当にありがとうございます。

まず、クラシック音楽との出会いを
教えていただけますか?

両親が大の音楽好きで、物心付いたときには、朝目覚めるとバッハをメインとしたクラシック音楽が流れていました。

初めは、「心地よいなあ」という感覚のみでしたが、年齢が増すにつれて興味も増していきました。特に好きだと感じる曲はまた聴きたくなるようになり、作曲者や曲名を知りたくなり、10代になる頃には、ピアノ曲が流れると、「弾いてみたい」と思うまでに、音楽が好きだと自覚するようになっていきました。

ーピアノを実際に始めたきっかけは
何だったのでしょうか?

ピアノを始めたきっかけは、3歳ぐらいの頃、近所に住んでいた歳上のいとこ達が自宅で先生から習っていたレッスンを聞いたことでした。

何故かピアノに惹きつけられ、「これは何でもやりたい!」と思った記憶があります。見よう見まねで鍵盤を触ってみても、メロディらしき音色すら奏でられないことに怒りを覚え(笑)、両親に「ピアノを習わせてほしい」と懇願しました。4歳の頃でしたが、両親からの提案で、6歳まで待つという約束をし、ピアノを始めることとなりました。

とはいえ、両親は、私をピアニストにしようと願ったことはなく、音楽を専門に生きていく必要はない、と思っていたようです。私の音楽が好きな思いはどんどん膨らむ一方でしたが、趣味を極めるためのピアノということで方向をひとまず定め、ピアノのレッスンを受けることも辞め、音楽科は無い高校へと進学しました。

-プロ志望ではなかったのですね!
意外でした。

高校時代はいかがでしたか?

練習から解き放たれた高校生活を楽しむつもりでいましたが、ピアノを弾くことがやはり辞められず、上達する方法を失ったように感じられた当時の私にとって、これほど辛いことはありませんでした。今思えば、その後のどんな出来事よりも辛く感じることだったと思います。

ところが、その後、声楽の先生との出会いがあり、歌のレッスンを受け始めた後、しばらくして東京での音大の受験を勧められたのでした。センター試験の準備と合わせて、副科ピアノも必要ということで、ご紹介くださったピアノの先生が、後に、私をピアノの道へと志すきっかけを与えてくださった恩師となりました。

ピアノは、副科として習い始めたはずでしたが、ピアノの先生から、「もう少し、早くに出会っていれば、ピアノ科で無理なく音高や音大を目指せたのにね。どうして、ピアニストを目指さなかったのか、私にはわからないわ。ただ、今の貴方には、直さないといけないクセや、年齢的にも追いついていないハンディキャップがあるから、相当な努力が必要な状況。」と言われました。

ピアノの先生に仰られたことは、ピアニストに成るのは無理だと言われているような内容ではありますが、レッスンを受け始めると、今まで弾けなかった曲が弾けるようになり、、という連続だったので、頂いた評価のことをすっかり忘れてしまうほどに(笑)、ピアノの練習に熱中するようになりました。

-声楽からピアノへと繋がる・・・
不思議なご縁を感じます。

しかし、この時点では、ピアノは
副科としての受験が前提ですよね。

ピアノの先生もずっとそのつもり
だったのでしょうか?

レッスンを受け始めてしばらく経った時、初めは厳しいことを仰られたピアノ先生が、「どんなに厳しいことを言っても、ついてくるどころか、さらにその先へ行く上達や姿勢が見られるので、貴方がピアノ科で音大を受験したいと思った時に、選択肢に入れられるようなレベルになるまで教え込みます」と仰られ、そこから修行のレッスンが始まりました。「こんなに出来ない人だったのか・・・」と落胆しそうになることもありましたが、それより、上達できることの方が何倍も嬉しく、落ち込む暇がありませんでした。

そのような状況下で、九州で開催されたピアノコンクールで、大人部門を含めた全体での1位を受賞することもありました。本来なら喜ぶべきなのでしょうが、演奏への自信に繋がることはなく、ピアニストを目指す思いまでには至りませんでした。

-素敵な演奏だったのでしょうが、
“突き詰める難しさ”を感じます。

そんな中、ヨーロッパから来日する
オーケストラとの共演があったとか。

その時のことをお聞かせください。

高校3年生の春、声楽科で受けようとしていた音大の志望校を決定しなければならない時期に舞い込んできたのが、ポーランド国立クラクフ管弦楽団とのピアノ協奏曲の共演でした。福岡で選抜された子供達が共演の機会を得られるコンサートでしたが、出演予定の一人が怪我をしてしまったため、代役出演の打診をいただいたのでした。

「私にできるだろうか・・」とも思いましたが、二度と来ることがないかもしれないチャンスを受けることを決意し、代役出演しました。当日の指揮者は、世界的に活躍されるピアニストとの共演で指揮をされたことのあるポーランドの巨匠でしたが、終演後に演奏への感想を伺う機会があり、「もし、今後、貴方が良き先生の元で学ぶ機会を得られれば、国際的に評価を受けられるピアニストに成るでしょう」とのお言葉を頂いた時、初めて、ピアノでの音大受験と留学を目指すことを決めました。

今は亡きピアノの恩師も、音楽を学ぶなら留学を、と勧めてくださっていたことも要因の一つでした。

目指していたはずの声楽での受験については、声楽の恩師に一連の事と思いを伝えたところ、ちょうどご病気が発覚された時だったこともあり、ピアノ音楽の道を目指すことを運命として受け止めました。

-導かれるようにしてピアノに戻り、
自分の意思で道を選んだのですね。

では、留学先はどうやって
決めたのでしょうか?

音楽大学といっても、世界には
たくさんあるかと思うのですが…。

師事したいと心から願った先生に教えていただくには、その先生が教えていたドイツの音楽大学に入学する必要があったことが理由でした。

ピアノの先生のレッスン室に置かれていた音楽雑誌を目にした時でした。ドイツから来日された音大教授のレッスンの様子の記事が掲載されていて、「それぞれのレベルに合った教え方を意識し、感情表現に結びつくように教えていく必要がある」という内容を目にし、このような先生でなければ私を教えることはできないと、自分のレベルを棚に上げて思い込み、ピアノの先生に相談したことが始まりでした。

偶然にも、そのドイツ人教授と私の先生は接点があったのですが、「ドイツの音大の先生からのレッスンを理解するレベルすら足りていない」と言われ、私の先生の判断で断り続けられていましたが、その2年後にご縁を得て、ドイツ人教授に演奏を聴いてもらうことができました。

「もし、入試に合格すれば、数年間教えることができる」と仰っていただいたので、そこから半年間は、その音大に行くことしか考えず受験しましたが、結果として、合格を頂いたので、入学することができました。

さらに、その数年後にも、ドイツの別の音大へ入学しましたが、師事したい先生がいらっしゃったというのが理由です。

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コンクール、そして
客員教授として

-吉村さんの経歴を拝見しますと、
演奏活動と並行しながら今も
コンクールに参加されています。

最近も、ドイツで審査が行われた
コンクールで1位を受賞されています。

コンクールに参加される
モチベーションをお聞かせください。

実は、元々コンクールの雰囲気が苦手だった上、20年ほど前に国際コンクールで審査員をされている先生の講習会を受講した時、「プロとして演奏を届けるピアニストと、コンクールに勝ち続ける演奏は必ずしも一致しない。貴方の演奏はコンクールには不向きだ」とも言われました。

そのため、コンクールに参加することもしなかったのですが、周囲の方々の勧めもあり、結果を厭わない演奏を目指す成長に繋がるのであればと思ったのが参加の動機でした。コンクールの結果が必ずしも絶対的な評価には繋がらないとは感じますが、演奏者自身の表現の向上に繋がるのであれば、ポジティブな面も多くあるかと思います。

-コンクールは、結果が全てではない、
ということを考えさせられるお話です。

では、経歴についてもう1点だけ。

現在、ハンブルクの音楽院にて
客員教授を務められていますが、
現在の拠点はドイツでしょうか?

また、客員教授としてのお仕事を
お聞かせください。

2007年よりハンブルクのブラームス音楽院で教えていますが、2013年に客員という称号をいただき、現在の活動拠点は東京です。

教授活動としては、現在は、ドイツ留学支援をメインとしており、今後はハンブルクでの夏期短期留学にも携わることになっております。具体的には、ドイツ人講師群によるレッスン受講、現地でのコンサート鑑賞、作曲家に縁のある博物館などの訪問が予定されています。

自らの経験を活かし、現地でしか得られない音楽の感動を、是非、より多くの方々に体験していただければと願っております。

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音楽について

-音楽についてお聞かせください。

好きな作曲家または曲があれば、
理由も含めて教えていただけますか?

クラシック音楽で、バロックから近現代の作曲家の曲は、基本的に全て好きです。また、自分の精神状態によっても変わってきます。明確な回答でなく申し訳ないです(笑)

ただ、今、敢えて取り上げるなら、バッハ、ベートーヴェン、ブラームスです。

音楽の父と称されるバッハの作品は、いつ聴いても精神が清らかな思いになりますし、そのバッハを敬愛したベートーヴェンは、難聴という困難を乗り越えて作品を創り続けた底知れぬ力と慰めを得られます。そして、バッハとベートーヴェンを敬愛したブラームスは、哲学を好み、自らの思いをいつも秘めていた内向的な性格も持ち合わせていたとも言われていますが、言葉にできない感情を音で共感を呼び起こす魅力があります。

-一口に“ピアノの演奏”といっても、
様々な演奏形態がありますよね。

これらの演奏形態の違いは、
演奏する側にとっては
どんな違いとなるでしょうか?

ソロで弾く場合、オーケストラ、または、他の楽器奏者と共演する場合も、またそれぞれの魅力と良さがあります。

ピアノでのソロの場合は、主要なメロディーから伴奏まで、全て自らの意志で司って演奏することが可能です。その代わり、本番では、演奏の全責任を一人で負うというプレッシャーもあるかと思います。

オーケストラと共演する場合は、ピアノが主役でありながら、他の楽器とのタイミングが合う必要があるため、指揮者の合図とオーケストラの音色にも耳と心を傾けることが、同時に必須となります。

他の楽器奏者数名、もしくはデュオ等の室内楽と呼ばれる編成では他者の音楽性と音色の融合性が不可欠ですので、ソロで演奏する時と音色も変わりますし、相手側を引きたてる演奏や微妙なバランスでの主張も必要となってきます。一人では奏でられない音楽が創り上げられる醍醐味があります。

-役割や状況でやることも変わる。
なんだか、日常生活との共通点を
見たような気がします。

では、音楽を弾き続けることの何に
喜びややりがい、楽しみなどを
感じていらっしゃいますか?

一言でまとめるとすれば、奏でる音色から得られる癒しや壮絶なパワーに尽きると思います。

私の場合、感情が揺り動かされる体験を得ることがなければ、ピアノに向かうもことも、他者の演奏を聴こうとすることも無かったと思います。

そして、その感動体験をお客様にお届けする場合は、また違った喜びと楽しみに繋がります。自分だけの楽しみに留まらない、ということは、例え好きなことであっても、お客様に聴いていただく前に沢山の課題を乗り越えるというプロセスと忍耐も必要になります。練習時に忍耐が必要な時は、思うように弾けていない状態でもあり、必ずしも楽しい瞬間ではありません。そのような瞬間を体験しない天才的なプロの演奏家もいると思いますが、私の場合は、本番に向かうまで必ずあります。

「ああ・・・こんなに時間と労力をかけているのに、兆しが見えない・・」そのように感じることもありますが、そんな感情に負けず、続けて乗り越えた時には、お客様にとっても自らにとっても喜びとやりがいに繋がります。私は、自分のことを不器用と感じていますし、ピアニストに向かないのでは、と思ったことも多々ありますが、乗り越えた時には、困難の何倍もの感動と喜びをお客様からの感想でいただくこともあります。

その喜びがなければ、やりがいもなく・・今頃、舞台で演奏を届けることも無かったかなと思います。コンサートで演奏する時は、聴きに来たいと思ってくださったお客様への御礼であり、ピアニストに成るには無理だと言われていた事を可能にされた恩返しでもあると思っています。

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今回のコンサート
「音楽と旅」

-まだお聞きしたいこともありますが、
そろそろ今回のコンサートのお話に
移りたいと思います。

今回のコンサートは「音楽と旅」。

この企画は、2020年スタートし、
今回が第8回とお聞きしています。

この企画を始めたきっかけや
コンセプトをお聞かせください。

本シリーズが始まったきっかけは、お聴きいただく音楽が生まれた現地を実際に旅で体験するというコンセプトでした。

ところが、ちょうどコロナ禍と重なったことで海外旅行もできなくなり、心で音楽の旅を体験するという方向にシフトしました。

音は視覚芸術とは相互影響していますが、異なる分野でもあります。視覚が全てではなくなり、同じ音であっても、聴く者の状態によって得られる感情も変わってきます。

旅では、普段見ることができない風景を体験する楽しさがありますが、コンサートでは、聴きに来られた方々お一人お一人が、独自の「音楽と旅」を体験し、会場に来られた時と変化した心の状態でコンサートを後にしていただけたと願っています。

-毎回テーマがあるそうで、第8回は、
“ドイツ三大Bへの畏敬”。

巨匠、バッハ、ベートーヴェン、
ブラームスのプログラム構成だとか。

ドイツ三大Bをテーマに据えた理由を
お聞かせください。

音楽に惹かれたことがきっかけで、音楽を専門的に学び始めた地がドイツでした。クラシック音楽の発祥地とも称されているドイツは、私自身にとって、10代後半から20代の全て、そして、30代中頃までを過ごした国でもあり、音楽歴史に名を刻んだ三大Bからは、強烈な影響を受けてきました。音楽表現そのもの、というより、作曲家達が音符に残した「生きる価値」に支えられてきた体験を、是非、音色でお届けできればと願った次第でした。

さらに凝縮すると、「始まり」「永遠」「厳粛」です。

詳細は、コンサート本番でお届けいたします!(笑)

-言葉では言い尽くせないものが、
演奏なら垣間見ることができる…
そんな予感がします。

ドイツ三大Bの巨匠たちは、
現在好きな作曲家としても
挙げていただきました。

吉村さんが彼らとどう向き合い、
本番でどのような音楽として
私たちに届けてくださるか。

とても楽しみでなりません。

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最後の質問

-では、最後のご質問です。

今は、自宅にいながら映画鑑賞も
買い物もできてしまう時代です。

そのような時代にありながらも、
わざわざ劇場などに足を運んで、

生の演奏を聴きに行く。
生の舞台を鑑賞する。

その場で体験することでしか
得られないものとは、
何だと思いますか?

IT技術が発達した時代、国境を一瞬で軽く超えてしまうほど、演奏家が認知される可能性は広がったと感じます。

ただ、生の演奏を聴き行く体験の価値は、経験したことがある者だけが知る魅力があります。

携帯やオーディオ等の機器から流れてくる音色は、楽器そのもの音ではありません。雰囲気や演奏者の意図したかったことは味わえるかと思いますが、感動にまで至るには、その場の空気で体験する必要があると感じています。ピアノという楽器は、弦が打鍵され木版に反響することによって、その音色の美しさが発揮されるからです。

それは、旅と同じことで、インターネットで外国や自然等の風景にすぐアクセスすることは可能ですが、現地の空気感の中で体感すると、ネット上では得られなかった感動がありますよね。

生の演奏は、編集技術で完璧に聴こえるCDや動画配信と違い、臨場感があります。演奏者にとっても、舞台での生演奏は、ある意味自らを曝け出す勇気の要る行為でもあります。

どちらを選ぶかは自由ではありますが、是非、一期一会の演奏を会場で体感していただければ幸いです。


拙いご質問に丁寧にお答えいただき、
本当にありがとうございました。

決して平坦ではなかったその道のり。
その努力や思いに触れた気がします。

そんな吉村氏からしか生まれない
ドイツ三大Bの音楽とは。

本番が楽しみでなりません!

吉村直美 ピアノリサイタル
「音楽と旅」ドイツ三大Bへの畏敬

2024年4月10日(水)

あいれふホールにて、18時30分より